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2008.06.17

コーヒーのコク研究(46)

週末に観た周防監督の「それでもボクはやってない」と一緒に借りてきたのが「男はつらいよ」の第一作で、10何年?20何年?ぶりに観ました。たしかこの第一作は僕が中学の時で、オンタイムで観たのは3作目か4作目だったと思います。あの頃は正月とお盆と年2回新作があって、その間には寅さん祭りで旧作3本立てやって、それで追いかけて観たのを思い出します。で、エネルギーが凄いし、大きなウケを狙わずさりげない東京喜劇の笑い、出演者みんな芸達者だし、寅さん声は良いし動きも良いし、さくらは若くて可愛いし、これじゃヒットするわけだ。泣いて笑って…今日第2作借りに行ったら貸し出し中でした。

そんなこんなで、コーヒーのコク研究(46)です。

-コアーのコク、第二層のコク、第三層のコクと分けてあります。コアーのコクは動物が執着するような栄養素の裏付けのあるもの。第二層のコクはコアーのコクの周辺にあってコアーのコクを連想させるようなもので、もはやコクの本体と同一のごとく感じられるもの。「連想のコク」と考えられる。

-第三層のコクは、精神性が加味されたコク。食べ物のコクは第二層までのコクでほとんど表現できる。
-コクは食べ物だけで使われるわけではない。
-物質的な実態の有無にこだわらない比喩、抽象のコク、味わう側の修練を要求するのが第三層のコク。

-「コクのある人間」「コクのある演技」「コクのある表情、言葉」「人生のコクを感じさせる後ろ姿」

-これは、コクの最外層である…第三層のコク。実態の無いコク。コクを拡張していって実態のない世界にまで使いだしたと言える。

-第三層のコクにも食の味わいを入れるとすると、極限まで要素を削り取って味わいの中に精神性を重視したコクが該当するでしょう。

-例えば、料理人は腕によりをかけた吸い物。日本の料理人が目指してきた究極のコク、もはや抽象のコクと言える。味わう者の精神世界に大きく依存するコク。上品な吸い物はそれ自体の栄養価は高く無い。濃厚なコクがあるともいえない。しかし、余分なものが削ぎ落とされたものの中にコクの純粋な形が感じられる。感じる側が訓練されてこそ隅々まで味わえるようなもの。いわば修練のコク。こういうギリギリのところに何とも言えないコクを感じる。

-第二層のコクがよりコアーに関係しようとしているのに、第三層のコクは実態をできるだけ離れて新たな精神的満足感を探求しようとする性格もあるよう。

-人間というのは妙なもので常に過剰なまでに洗練を求めるようである。
-味覚だけでは無く、芸術もしかり、写実的なものから、最後には実態が捉えにくい抽象的な世界に行き着く。

コクをテーマにここまでくるんですね。どんどん終わりに近づいてきましたが…僕の中では、栄養摂取の食べ物から、精神的な要素が強まったお茶やコーヒー、紅茶、さらに音楽や絵画等芸術まで、或は花や種まで共通の答えが出てきました。コクもそこに繋がっています。とらえどころの無い「コク」に踏み込んで見えてきたものがこれからの魅力作りに役立てそうです。

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