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2009.08.06

コーヒーのコク研究(46)

ちょっと間が空いてしまいました。日曜の夜に長男が帰ってきたので…月曜日の夜は、親子4人で焼き肉を食べにいきました。子供が小さい時は家でも肉をよく食べましたが…僕もかみさんも年とともに肉を欲しがらなくなり…次男は高校の食べ盛りなのに肉が減り、かみさんは夫婦とは別に次男用に肉料理を作るようになってます。で、久しぶりに焼き肉になりました。帰りにはミニストップでソフトクリーム買って、満足満足でした。

そんなこんなで…コーヒーのコク研究(46)です。

第二層のコクの次は…第三層のコクになります。

第三層のコクは精神性が加味されたコクとなるようです。食べ物のコクは第二層までのコクでほとんど表現されるでしょう。

そして、食べ物以外に使われる、物質的な実体の有無にこだわらない比喩・抽象のコク、味わう側の修練を要求するのが第三層のコクだそうです。

「コクのある人間」
「コクのある演技」
「コクのある表情、言葉」
「人生のコクを感じさせる後ろ姿」

いずれも人生を深く体験してきた人だけに通じる了解事項のようなもの。

この第三層のコクは、コクの最外層だそうです。

第一層はそれ単独で執着するほどの人間の生命維持に密接に関わっているコク。
第二層はとろみや風味のようにコアーのコクと密接に関係する感覚を刺激する学習のコクで、それ単独では執着するほど強くはないものの、コクの世界をさらに分厚く広げてきた。

第三層のコクは実体のないコクと言える。コアーのコクとはまったく次元に違う比喩的なコクと言える。

第三層のコクにも食の味わいを入れるとすると、極限まで要素を削り取って味わいの中に精神性を重視したコクが該当する。

例えば、吸い物は日本の料理人が目指してきた究極のコクだと思う。もはや抽象のコクと言える。味わうものの精神世界に大きく依存するコクである。

上品な吸い物は、それ自体の栄養価は高く無い、濃厚なコクがあるとも言えない、しかし、余分なものが削ぎ落とされたものの中にコクの純粋な形が感じられる。微かな手がかりや痕跡である。

感じる側が訓練されてこそ隅々まで味わえるようなもの、いわば修練のコクとも言える。ある程度和食に通じた人は、こういうギリギリのところに何とも言えないコクを感じる。

ここまで昇華したコクは第三層のコクと言っていいと思う。

第二層のコクがよりコアーのコクに関係しようとしているのに対し、第三層のコクは実体をできるだけ離れて新たな精神的満足を探求しようとする性格もあるようである。

人間というのは妙なもので常に過剰なまでに洗練を求めるようである。

コクの話しがえらい遠くまで来ました。

しかし、こーひーのコクを探して行くと…

人間の生命に密接に関係している栄養素のコアーのコクを無意識にも求め、魅力的に感じる味覚。

さらに、そのコアーのコクにより関係してコクの感じ方を高めようとする第二層のコク。

そして、精神的満足を探求しようとする第三層のコク。

全て、こーひーのコクにとって欠く事のできない要素だと実感しています。

特に、精神的な満足を求める第三層のコクは…

僕が紅茶やコーヒーの世界を目指した要因に関係しています。

食の世界はどうしても栄養摂取の一面が付いてきます。

その点、紅茶やコーヒーは栄養摂取の面が無い、乏しいので…
その魅力は精神的な要素の比重が高くなります。

その抽象的な要素に10代の頃、惹かれたのでした。

だらだら、続けてきたこの連載もいよいよ終わりが近づいてきたようです。

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